【エピソード⑬】すい臓がん末期の患者に対する作業療法士的関わり:癌の告知とリハビリと…

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私は作業療法士として働いています。そんな私の5年ほど前の実体験です。

作業療法士はいわゆるリハビリの専門職で国家資格です。

リハビリといえば、立つ、歩く、動く。という身体的な動作訓練を行う事をイメージしやすいですが、それだけではありません。

教科書的にはリハビリとは「全人間的復権」を目的に行われる方法です。「全人間的復権」とは障害を持った人が身体的にも精神的にも経済的にも社会的にも自分らしく生きることです。

簡単にいえば障害を持ちつつも、自分らしく自分の好きなように生活を営む事がリハビリであり、障害を治す。だけではありません。障害とともに共存する事が大切です。

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ある男性との出会い

今回の実体験は、すい臓がん、ステージ4。余命1年と診断された老人保健施設入所中のある男性との関わりの話です。

すい臓がんを含む、がんの簡単な説明をさせていただきます。

がん。は、悪性新生物と言われ日本の死亡原因の第1位となっており、約3割の人が悪性新生物が原因で亡くなっています。

がんは進行度によってステージが決められており、ステージ0からステージ4の5段階です。ステージでいうと4が最も進行している事になりますが、さらにその中でこれ以上医学的に考え、手の施しようがない場合に末期がん。と言われます。

中でもすい臓は沈黙の臓器と言われ、症状が出た時にはステージ4のすい臓がん。である事が多いようです。

すい臓がんは予後も悪く、ステージ4の5年生存率(ステージ4の人が5年後に生きている確率)は、たった2%にも満たない数字です。

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がん告知

私は老人保健施設でのリハビリ業務に関わっており、ある男性が最近疲れやすい。という事を聞いていました。胃のあたりが痛む事もあり、それに伴い食欲もなくなってきた、との事で、精密検査をする事になりました。

精密検査の結果はすい臓がん。ステージ4。治療方法としては腫瘍が血管に入りくんでいるため手術は難しく、抗がん剤の投与が考えられるとのことでした。

昔は本人にがん。との告知をしない事が多かったようですが、最近では本人にもしっかりと告知をして本人が治療方法を選択する時代になってきています。

この事例の方も直接、医師の方からすい臓がん。と告知され治療方法が説明されました。すい臓がんは非常に難しい種類のがんであると。しかし抗がん剤を打つ事で少しは効果が出ると思うとのことでしたが、もちろん副作用もあります。

吐き気や脱毛などが有名ですが、立ちくらみや便秘など細かいものまであります。

事例の男性は80代であり、今更、抗がん剤を投与して副作用で苦しむのは嫌だから治療はしない。自然に任せる。との判断をされました。

私は病院から帰ってきた本人と家族との面談で治療をしない。という決断をした事。治療をしなければ余命は1年ぐらい。最期の時はこの施設で迎えたい。との話を聞きました。

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実際の関わり

そこから私は作業療法士という専門職という立場で、この方にどのようなリハビリを提供すればいいのか、悩みましたが、結論は残された人生を楽しく、悔いのない時間を送って頂けるよう、様々な角度からサポートする事だと思いました。これこそが私の考えた「全人間的復権です。」

まず、本人と死をタブー視せずにどのように最期を迎えたいか?もう一度やりたいことはないか?を聞き取りしようと考えましたが、すぐに答えが出てくるものではありません。

なので、私は時間をかけてどのような人生を歩んでこられ、何を大切にしてこられたのか、本人の「人生」を話の中だけでなく、日々の動作や仕草、家族との会話の中から掴もうとしました。

そこで、私が感じたのは仕事をしていた時は会社の取締役にまで昇り詰め社会的にも地位の高い方であり、誇りにされていた事。家族を大切にされていたこと。本を読む事が好きである事。コツコツとした性格で気配りを常にされる方だと感じました。しかし、言葉ではなかなか感謝を表せない恥ずかしがり屋な一面を持っていることも何となくわかりました。

以上の感じた事から私は日記を提案しようかと思いました。日記として自分の思いや家族への感謝を書き綴り、自分が生きた証として残す事が出来れば本人にとっても家族にとってもかけがえのない宝物になると思ったからです。

しかし、本人にそのように伝えれば恥ずかしいから嫌だと、言われそうだったので、まずは自分の人生を整理する意味で自分史を作ってもらえないか?私も知りたい。というニュアンスで伝えると。恥ずかしそうにOKを出してくれました。

最初は自分の事を書かれていましたが、次第に自分の人生を振り返る中で家族との思い出が思い出され、家族の事に対しても綴られるようになりました。

特には孫の事、ひ孫の事、今日の体調の事まで。様々な内容が入った日記になり。本人も日記を書く事が日課となっていました。

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お別れの時

数ヶ月はがんを感じさせない元気な姿で日記を書いていましたが、がんは進行していきます。次第に熱を良く出すようになり食事も取れない。ベッドで過ごす時間も増えていきました。

ある日の夜です。今までは自分で車椅子を使い、トイレに行かれていたのですが、転んでしまいました。その日を機に意欲もさらになくなり表情も暗くなっていきました。

ただ、日記だけは震える手で何とか書かれていたようです。毎日、日記は綴られていました。

時は無情です。体には黄疸が出てきました。ボーっとしている時間も長くなりついに日記は書けなくなりました。呼吸も深い呼吸と浅い呼吸を繰り返す、亡くなる前に見られる呼吸へと変化していき、家族を呼ぶ事になりました。

次の朝、本人は家族に見られながら天国へと旅立ちました。

家族も本人が日記を書いていたのは知っていたので荷物整理の時に涙を流しながら流し読みをされていました。私は、この方にとって、良い人生を送る手助けが少しでもできた事、家族にとっても大切な存在であり日記が生きた証であり大切にします。とのお言葉をいただき、涙が出ました。

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最後のエピソード

しかし、本当に驚いたのはこの後です。

お亡くなりになったご本人は葬儀場に運ばれたので、お部屋やベッドなどの掃除をしていたと所、ベッド周囲の、よく見ないとわからない所にもう一冊の日記がありました。

内容は家族、一人一人に宛てたメッセージや感謝の気持ちを綴ったものでした。

私や家族に隠れて書いていたようです。

誰にもバレまい。と隠したのでしょう。

もちろん、すぐに家族に電話し、取りに来て頂きました。

葬儀から3.4日経った後、ご家族が施設にお礼を言いに来てくださいました。あの隠してあった日記を持って。

中身を見せてくださいましたが私にも感謝の気持ちが弱々しい字で書かれていました。

「〇〇さん←私の名前。

あなたのおかげで残りの人生が楽しくなり、自分の気持ちが整理できました。家族に感謝の言葉を言えたのもあなたのおかげです。悔いがなくあの世に行けます。まだまだ〇〇さんは若いから、まだ今後も色々な方と会うでしょう。だけど私の事も忘れないでくださいね。」

と。

ご家族にお願いし、この1ページだけは破らせてもらい自宅で保管しています。

辛い時にはこの破れた日記を見て元気をもらっています。

ご家族にも本当に感謝され、施設の応接間で一緒に泣いた事をよく覚えています。

ご家族は、姿は変わってもこの日記が本人だと思い、今も一緒に過ごしています。と言ってくださいました。

本人のいい人生を送る手助けができた事で家族にも喜んで頂けました。リハビリ専門職の関わりは、本人のだけでなく家族の人生に深く影響を及ぼすものだと改めて再認識しました。



カテゴリー:体験談

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