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はじめに
私は新卒で教員として働いていました。
初任者としての1校目の任期を終え、2校目へ異動。割愛しますが、「この仕事は私の天職だ。」と感じるほどやりがいを感じており、職務時間以外も仕事のことを考える毎日を過ごしていました。
しかし、異動して1ヵ月が経ったころ、心身に異常が現れはじめたのです。
精神科受診の経緯

はじめに自覚したのは、
- 入眠に時間がかかるようになった
- 理由の分からない緊張感が続く
- 飲酒量が増えた
といった症状でした。
「環境が変わったから少し疲れているのかな?」
前任校のころから長時間勤務は当たり前でしたし、むしろ異動して自宅と職場の距離が大幅に短くなったので負担も少なくなっていると、あまり深刻に考えていませんでした。
しかし、徐々に症状は悪化していきました。
- 全く眠れない日が増える。眠ろうとすると、冷や汗や動悸が止まらなくなる。
- 眠れたとしても仕事関係の悪夢をみる。現実かのような錯覚に陥り、夢だとわかりホッとする。
- 倦怠感や微熱が続くが、内科では問題なしと診断される。
- 文章は読めるが、内容の理解に時間がかかる。
そしてある日の出勤直後、職員室で下記の症状がまとめて現れました。
- 冷や汗
- 動悸
- 息切れ、息苦しさ
- 吐き気
- 理由もなく涙が出る
- 思考がまとまらない
- 何をしてもうまくいかないんじゃないかという不安
「もし今日、なにかあったら子どもたちを守ることができない。」
そう思った私は管理職に早退を願い出、出勤後15分で早退しました。
精神疾患は教員の職業病と先輩教員から聞いていた私は「もしかして…」と思い、その足で人生初、精神科に予約を入れました。
初診で【気分変調症】と診断された

精神科を受診した私は医師から【気分変調症】と診断されました。
気分変調症とは?
うつ病と同様の認知的な問題や食欲変動や疲労感といった身体症状も起こりうる気分障害の一種であり、うつ病と比較してより軽症ながらより長期間となる症状を伴う。
「軽いノイローゼみたいなものです。服薬しながら働くか、一度仕事から離れて休むか、どうしますか?」と聞かれ、私は少し休みたい旨を伝えました。
内服薬としてレクサプロが処方され、1ヵ月休職の指示を書いた診断書を受け取り、休職に入りました。
自宅にて療養を続けましたが、一向に良くなりませんでした。むしろ悪化。
- 目が覚めていても、ベッドから起き上がれない日が続く。
- 対面や電話で人と話したりすることができない。
薬が体に合わなかったのか、吐き気などの副作用も現れました。
「このまま療養を続けて、本当に職場に復帰できるのかな?」
そんな思いが常に頭の中に浮かび、仕事への焦燥に駆られる毎日を過ごしました。
【適応障害】に診断が変わった
初診から二週間後に2回目の受診。
担当の医師が変わり、【適応障害】へ診断名が変わりました。
適応障害とは?
簡単に言うと、原因としてはっきりとしたストレス因子があり、心身に症状が出現し、機能不全が認められている状態。

医師との対話で、自分のストレス因子は仕事だったことが分かりました。
仕事自体は好きでしたが、労働環境に疑問を抱きながら仕事をしており、異動とともに環境がさらに悪化しそれに大きなストレスを感じていたことが外在化・整理されました。
「おかしいな。」と思いながらも自分の思いや考えに蓋をしながら仕事を続けてきたことで、それらがかえって強化され続け、溢れてしまったのです。
そんなこんなで、追加で3ヵ月休職するように指示を受けたのでした。
現在の様子
結論から言いますと、年度途中でしたが私は教員を退職しました。
理由は以下4点です。
- 教員の仕事を続けながら思考の癖を変えていくことは私には難しいと感じた。
- 精神疾患は教員の職業病。復帰と休職を繰り返す職員が身近にいた。
- 教員の労働環境が改善されることはしばらくないだろうと感じていた。
- 教員の仕事は大好きだが、他にも興味のある働き方や仕事があった。
自分のストレス対処法を見直すことも考えましたが、自分のストレス因となっていた労働環境は、自分の努力だけではどうにもならないししばらくは改善が見込めないと感じたことが決め手でした。

現在は、アルバイトとして興味のあった分野の仕事、在宅での記事執筆などの仕事をしています。
思い切って環境を変えたことで、苦しんでいたことが嘘のように症状はなくなりました。
私の場合は、決断が早くて良かったと思っています。収入は減りましたが、心理的に安定して毎日を過ごせています。
退職し、半年以上経ちますが、年度途中に退職したことで担任していた学級の子どもたちや保護者や職員の方々に罪悪感やある意味「逃げた」ことに負い目を感じることがあります。
しかし、退職後に自分が飛び込んだ先での出会いや経験は尊いものでしたので、今のところ後悔はしていません。
今後は色々な経験を重ねる中で、ゆっくりと自分のストレス耐性をあげたり、自分に合う働き方や仕事を見つけたりしたいと思っています。
同じ症状に苦しむ方へ
お伝えしたいことは3つです。
〇「いつでも」「だれでも」適応障害になる。
正直なところ、自分が精神疾患を患うとは考えてもいませんでした。
自分で言うのもなんですが、自他ともに認める幼いころから根明な性格でしたし、人間関係にも困っておらず、仕事も評価していただけることが多い環境でした。
うまくやれていると思っていたので、
「自分は大丈夫」
そういう自信がありました。
しかし、今回の件で「精神疾患は〇〇な人が患うもの」ではなく「いつでも誰でも患うもの」と実感しました。
〇心療内科や精神科は特別な場所じゃない。気軽に行ってヨシ。
精神科を受診することには、少なからずの抵抗感があったり、勇気がいることだったりすると思います。私がそうでした。
でも、風邪をひいたら内科に行くように、歯に違和感があったら歯医者にいくように、気軽に行ける・行っていい場所なんだと感じました。
少しの違和感を感じたら、ヒョイッと受診することをおすすめします。軽症のうちに手立てを講じられるに越したことはありません。重症化を防ぐためにも。
〇「甘え」」や「周囲に迷惑」などと思う必要はない。
「職場のことは気にしないで、療養に専念してください」と管理職から言われましたが、休職することになってからはずっと後ろめたさや罪悪感を感じていました。
しかし医師から、「あなたがそこまで考える必要はない。それは管理職がやるべきだから。それが仕事だから、管理職手当もそれのために出てるんだよ。」と言われ、それに納得できてからは割と自分を優先して考えることができるようになった気がします。
ある意味、自分勝手に生きるようになったのかもしれません。
そういったことがきっかけで、徐々に「自分が元気になること」「これを機に別のことをしてみよう」を第一に考えることができるようになっていきました。
療養中は自分で調べたり、医師から言われた方法を色々と試しました。
合っていて体調が楽になったもの、逆に合わなくて体調が悪化したものがありました。私が試した方法の中で、特に自分に合っていたものは以下の通りです。
- 散歩をする
- SNSで同じ状況の人の様子を知ったり、相談したりする
- 興味のある分野のオンライン研修を受ける
- 祖母と話す
- 職場から物理的に離れる
こればかりは、合う合わないがありますので、それぞれで自分で見つける必要があると思います。
最後に
人は悩むと、「生きるか死ぬか」になり視野が狭まります。
人は寿命がくれば自然に死にます。
生き方は人の数だけ色々ありますので、「自分が」生きていきやすい生き方をしていけたらいいんじゃないかと、最近、切実に思います。
それこそ最初は落ち込みましたが、適応障害になったことで、私は自分の生き方を見直す機会を得ました。
なってしまったことを悔いるのではなく、プラスに変えていけるように、今後も生きていけたらなと思っています。
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