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今回のお話しはうつ病の臨床試験は何故難しいかと題して、薬剤治療におけるうつ病の定義とうつ病に対するプラセボの位置付けに関してお話しします。
うつ病は「心のかぜ」とよばれて治療可能な病気なので、精神科あるいは心療内科での治療を促進するキャンペーンがありましたが、いつのまにか消えてしまいました。このようなキャンペーンは大手宣伝会社が政府の依頼を受けて仕掛けるものもあります。「心のかぜ」に関しては実際のところは分かりません。
ストレス耐性の低い若者の不安神経症が「新型うつ」とよばれる場合があります。これは新型コロナウイルスのように病気が原因が変異したわけではありません。うつ病以外の症状をうつ病にくくっただけの話で精神病専門医はこの言葉は使いません。マスコミの造語と考えていただいた方がいいと思います。
うつ病に関しては、誤解を招く記事がニュースに流れたり、WEB上で記事を装った宣伝がたくさんあります。
以下の二つのサイトは出所がしっかりしているので、信用できます。
- 厚生労働省の「メンタルヘルス」総合サイト
- 塩野義製薬と塩野義製薬と日本イーライリリー作成
うつ病 こころとからだ
もくじ
抗うつ剤の臨床試験は何故難しいか
抗うつ剤の臨床試験は厚生労働省が「抗うつ薬の臨床評価方法に関するガイドライン」1)を公開しているので、そのガイドラインに従って行えば簡単といえるのは、新薬開発部担当の役員(新薬開発部出身でない)ぐらいです。現場はそのガイドラインに従うことがいかに難しいかを身にしみています。
二つの大きな問題点があります。
・大うつ病は症状に波があるということ。
・プラセボが効果を示すこと。
二つの問題点はかぶっているところもあります。しかし、異なるところもあります。
大うつ病の症状に波がある
うつ病の治療経過は時間と共に経過します。一つのエピソードは下の図のように推移すると考えられています。

うつ病に薬剤治療をしない場合にも症状が強くなるときもあれば弱くなるときもあります。
大うつ病の症状を回復させるものとしては、薬物や精神療法以外に、休養、栄養、適度な運動と将来に対する希望があります。
大うつ病の症状を悪化させるものとしては身体疾患やストレスがあります。
薬物の効果は症状の消失を見るわけですから、薬物以外に症状に影響を与えるものはなるべく避けたいと考えるのが、担当の新薬開発部員です。しかし、休養や栄養、適度な運動に関して全症例を一律にすることは全員を入院させなくては不可能です。
大うつ病の場合には治験の対象となるのは外来です。理由は大うつ病の治療がほとんど外来治療で行われるからです。自殺企図が明らかな患者では入院させる場合もありますが、少数ですし、神経物質が作用しているかどうかは明らかになっていません。
外来患者の場合には病気を発病したり、ストレスを受けたりするのを治験では制御することはできません。病気を発病することは事前の血液検査などで少なくすることはできますが、ゼロにはできません。
ストレスに関しては特に配偶者の死亡などがあった場合にはうつ病の症状が悪化します。治験中にそのようなことが起こると仮に薬が効果を示していても、評価は無効または悪化となります。
プラセボに効果がある
第Ⅲ相試験で対照となるプラセボに対して、薬剤の効果が有意差を以て上回ることができない恐れがあるということです。
そのために二重盲検比較試験を行っているのではないかといわれるかもしれません。しかし、二重盲検比較試験は全能ではありません。
うつ病の回復に関与する希望というものはプラセボであろうと薬剤であろうと治療が行われて、今のこの気分が改善するという希望はでるものです。従って、プラセボにも有効例がでます。抗菌薬などでは治療効果は薬物濃度に依存しますが、大うつ病の場合にはたとえ薬効のないもので治療したとしても、希望というものが効果を示すのです。
プラセボの効果は一定であるということが多くの試験の集計を行い明らかになってきました。臨床試験は実施する際には計画の段階から公表して、結果が製薬会社にとって都合が悪いものであっても公開しなくてはいけないということが各種文献で求められるようになったからです。
抗うつ薬のプラセボの効果は「抗うつ薬は本当に効くのか」2)が2010年の邦訳が日本で出版されたことから、抗うつ薬に対する懸念が広がりました。
臨床試験を統合解析した結果ではプラセボの効果は35から40%である3)と結論されています。統合解析とは複数の二重盲検比較試験のデータをあつめて統合する方法です。

最新の抗うつ薬であるトリンテックス錠の審査結果報告書4)を読むとまずプラセボの効果に関して議論が行われています。会社側の回答としてはプラセボの効果の一覧を挙げています。
数字が低いほど効果があることを示しています。単一性エピソードは初めての治療、反復性エピソードは薬剤治療が効果があってもすぐに効果が減弱するタイプを指します。
先ほど希望が一つのプラセボの作用機序と述べましたが、単一性エピソードで効果が高いのはそれを実証しているデータになるのかもしれません。
トリンテリックス錠は最初の第Ⅲ相試験であるCCT-003でプラセボに対する優位性を示すことができずに第Ⅲ相試験をもう一度やり直しています。
やり直しのCCT-004試験でプラセボに対して優越性が示されたので承認されましたが、CCT-004試験を開始する際には以下の見直しを行っています。
1)反復性エピソードを中心に患者を組み入れる。
2)点数のカットオフ値の変更
3)対象となるエピソード持続時間を12ヶ月以下にする
4)施設による有効性評価のばらつきを減らすために中央評価モニタリング委員会を設置して確認する
1)はプラセボがあまり効果を示さない症例
2)は重症例を組み入れるため
3)は大うつ病が12ヶ月で自然治癒する可能性があるため
4)は1施設で実施例数が少ないと有効性評価がばらつくのが定説となっているためです。
この変更は抗うつ薬が必要であるという前提に立った変更です。
「抗うつ薬は本当に効くのか」の議論は終わっている前提で話が進んでいます。
最後に
「抗うつ薬は本当に効くのか」を元にして、学問的でない解説本や抗うつ薬の副作用だけを強調したような記事が週刊誌に載りました。プラセボの効果を統合解析で明らかにすることで、抗うつ薬が二重盲検比較試験でプラセボに有意であれば新規薬剤で認める方針になっています。
新薬によって今まで効果のなかった人に効果が出るとか、効果は同等ですも副作用が少ないなどのメリットがあるならば承認する必要があります。
しかし、大うつ病治療の観点からいえば、プラセボでも効果のある人はプラセボを飲めばいいと思っています。いわゆる「希望」が大うつ病に対して効果があることに対して薬物治療の立場から見過ごしてはいけないと考えています。また健康保険財政の薬物治療費に関して少しは貢献するかもしれません。
今の健康保険の立場と今蓄積されているデータだけではプラセボの効果を認めることは難しいと考えます。そのため、神経伝達物質に影響を与える薬物を与える前にビタミン剤を投与することを考えていいと思っています。ビタミン薬として処方しては「希望」の作用機序が減ってしまいます。大うつ治療の薬物療法の一つとして患者には分からないようにプラセボを投与するのです。
実際にプラセボを大うつ治療の薬物治療に取り入れるためにはエビデンスが必要です。そのエビデンスとしてはプラセボを6週間投与してその後6週間は抗うつ薬を飲ませる試験を行って、効果判定を6週ごと12週後で行う試験の結果を出すことです。この試験はとてもじゃないですが、一製薬会社のやる試験ではありません。うつ病学会が行うか、医薬品量の低下のために厚生労働省がやるべき試験だと思っています。
参考文献
1)薬食審査発1116第1号 「抗うつ薬の臨床評価方法のガイドライン」について
平成22年11月16日
2)(和訳)アービング・カーシュ「抗うつ薬は本当に効くのか」石黒千秋訳
出版社 : エクスナレッジ (2010/1/25) ISBN-13 : 978-4767809540
(原本)Kirsch, I (2009). The Emperor’s New Drugs: Exploding the Antidepressant Myth. London: The Bodley Head. ISBN 978-1-84792-083-6.
3)Walsh BT, Seidman SN, Sysko R, Gould M. Placebo Response in Studies of Major Depression: Variable, Substantial, and Growing. JAMA. 2002;287(14):1840–1847. doi:10.1001/jama.287.14.1840
4)トリンテリックス錠 審議結果報告書