この記事を読むのに必要な時間は約 8 分です。
こんにちは。運営です。
今回はスポーツが好きな方のヘルニアになった体験談を記事にしていただきました。
もくじ
ヘルニアになって感じる事、ご自身が感じるその病気のイメージ
自分は腰が丈夫だという思い込み
どちらかというと骨太でスポーツが好きだったせいもあり、自分は腰の疾患には無縁だと、ずっと根拠のない自信を持っていました。
子ども達が中高生になりパートで働き始めましたが、職場では重い荷物を持つことが多く、トレーニングにもなると思った私は、バンバン荷物を運んでいたのです。
パート2年目のある日、荷物をいつものように持ったその瞬間、腰の奥で「ピキっ」と音がしたような気がしました。その日は特に腰に違和感は無かったのですが、日に日に腰が重だるくなっていったのです。
それからすぐのことでした。仕事の後、急に腰の調子が激変、まるで骨盤が浮いているようで動けない感じになってしまい、それでも何とかゆっくり歩けたのでそのまま整骨院へ行きました。しかし、次の日から約1週間、ギックリ腰でほとんど起き上がれなかったのです。
腰のヘルニア、まさか自分がなるなんて!
ぎっくり腰が落ち着いて、ようやく歩けるようになったものの、しばらくすると、右のお尻の下が痺れるようになってきたのです。何日もしないうちに今度は、太ももと右ひざの裏側が痛んできて、これはもはや腰痛やぎっくり腰ではないな、と思い、整形外科へ行きました。
MRI検査で、第5腰椎から椎間板が飛び出て神経に当たり、右側下半身に痛みや痺れが出ているというのが分かりました。痛み止めの薬をもらって帰りましたが、右側のお尻下、ひざ裏、ふくらはぎの激痛と痺れは日に日に酷くなっていったのです。
仕事もしばらく安むこととなり、大好きなスポーツも出来ず、日々歩行にだんだん不安を感じてくる中、どうすれば早く治すことが出来るのか、焦るばかりでしたが、その時は薬を服用しながら安静にして、様子を見るしかなかったのです。そうしているうちに治る人が大半だというのです。
年配の方が、骨の変形等で痺れが出て治療するというのはたまに聞くのですが、まさか自分が腰のヘルニアになるとは思ってもみませんでした。
年齢に関わらず、誰でもヘルニア等の腰の疾患にかかり得るというのも、その時はじめて知ったのです。

疾患の治療経過
あまりの激痛にうめき声!
その後、ほとんど歩けなくなった私は、ブロック注射と強い痛み止めの錠剤リリカを服用し始めましたが、 治るどころか激痛の間隔がだんだん狭くなっていったのです。
痛みと痺れが治まらなかった私は、ついに内視鏡手術を受けることが決まりました。腰のヘルニアと診断されてから、1か月以上経った頃でした。
その頃には、右側お尻下から太もも裏、ひざ裏の激痛、しまいにはふくらはぎ側面の突かれているかのような痺れ、そして痺れは小指にまで拡がっていました。
横になって、右側を向いて足をそのまま前方に突き出した格好が、比較的痛みを緩和させました。家ではあまりの激痛で勝手にうめき声が出てしまうことがあり、家族に心配させたくなかったので、声が漏れ聞こえないように顔を布団に押し付けてもがいていました。

手術は成功、しかしスポーツは無理?
第5腰椎から飛び出ている椎間板を削りながら取り出す手法で内視鏡手術が行われて、約1時間30分で無事に終了しました。
初めての全身麻酔から目が覚めた時は、痛みが無い状態がこれほどまでに快適なのか、と驚きと喜びで胸がいっぱいでした。
2日目から歩き始め、リハビリも最初から問題は無く、今後筋力を付けていくだけでした。同じ病室に、腰のヘルニアで手術した人が私の他に二人居ましたが、やはり日常的に重いものを持つ生活をしているとの事でした。
ヘルニアを繰り返す人も少なくない様で、2回目の手術では金具で骨を固定しなければならないという事実も知りました。
私はパートの仕事を辞める決心をしました。2週間後に退院したら、スポーツを少しずつ始めるように病院の先生に言われたこともあり、私は完全復帰に向けてジョギング等で身体作りをすることにしたのです。
その時は1年もしないで完全に身体の感覚が戻るだろう、と思っていました。
まとめ(完治した人は病気になって学んだ事を、治療継続中の方は今後どのような状態に持っていくのか)
身体が硬すぎる!
その頃、腰の痛みは消えたものの、右側お尻下からふくらはぎにかけての、激痛や痺れがあった個所の違和感が消えずに残っており、おまけに長座がきちんと出来なかったのです。
身体の調子を整えるために通っていた整骨院の先生に以前から、しっかり柔軟をやって身体を柔らかくするように言われていて、それまでも柔軟はやっていたのですが、従来の身体の硬さに諦めもあったのです。
ヘルニア発症やケガが多い人は、必ずと言っていいほど身体が硬い、と整骨院の先生は言い、また、このままだとヘルニアが再発するおそれもあるよ、とも言われました。
しばらくして右ふくらはぎが肉離れになり、なかなか治らないまま1年が経ってしまいました。それを機に、本気で身体を柔らかくする決心をしたのです。

まずは開脚から!
産まれてこのかた、開脚は90度くらいが限度でした。それを毎日少しずつ広げていく努力をしました。
その際、骨盤が床に対して直立状態になるのが理想なのですが、私の場合は全くと言っていいほど骨盤は立っておらず、開脚時は猫背状態だったのです。
他に開脚で大事なのは、足の後方を伸ばすことです。
私はヘルニア時、お尻下から太もも裏、ふくらはぎまで激痛と痺れがひどかったので、まだ後遺症で違和感が抜けきらない状態での足の後方伸ばしはとても辛かったです。
開脚でついに上半身が床にべったり!そして身体が大変化!
開脚は180度まではいかないのですが、それに近いくらいに開くようになり、ついに上半身全部が床にべったり付くまで柔らかくなったのです!本気で開脚柔軟を始めてから、実に4年の歳月が過ぎていました。
普通の人なら、長くても1、2年もすれば上半身が床に付くそうですが、私の場合は身体がもともと硬すぎるのとヘルニア後遺症での足の違和感、足の後方を伸ばせない(長座が上手く出来ない)との理由で、長くかかってしまいました。
何と言ってもスポーツ時、身体が軽くなり、足の可動域が広がった事には驚きました。今まで生きてきて、今が一番楽しくスポーツをやっていると思います。
同じ病気にかかっている人へのメッセージ
これからも、ずっと!
開脚柔軟と一緒に、上半身を伸ばす運動もずっと欠かしませんでした。腰の疾患にかからない為にも、体中の関節は柔らかくしておいた方が良いと思います。これからもずっと、柔軟体操は続けていきます。
今では、腰疾患の苦しみはどんな人でもきっと消えると確信しています。
治療中は、必ず治るんだ!という希望だけが自分の中にあったのです。それは家族や友人、そして何より病院の先生や看護師さん達が「絶対治るから!心配いらないよ、あとちょっとだけ頑張ろうね!」と励まし続けてくれたからに他ならないのです。
そして、自分の身体は自分で守り、作って行こうとする覚悟が大事であることは、言うまでもないと思うのです。
カテゴリー:体験談