【ep 89】てんかん【病気と前向きに向き合える日が来ると信じて】

この記事を読むのに必要な時間は約 12 分です。

私は、福岡の大学へ進学が決まり、実家を離れて九州に出たばかりのころに『てんかん』だと医師から告げられました。

現在30代半ばですが、今も投薬での治療を行っています。

今回は、私が今も向き合っているてんかんについてお話ししたいと思います。

もくじ

てんかんの症状

てんかんには色んな症状があります。

てんかんと聞くと
”大きく痙攣をおこして泡をふいて、意識がなくなっている
というイメージをされている方も多いかと思いますが、全部が全部そうというわけではありません。

私の場合は『』に誘発されて発作がでます。
特定の音と言うわけではありませんが、自分で認識している音の種類は『単調な音、反復音』です。

例えば、踏切の音やバイクのふかし音、アラームのような音で、聞きなれた曲が流れるのもNGです。

発作というのは、私の場合分かりやすく言うと「う~…」と声をあげながらしゃがみ込む感じです。
大きな発作の時は、すこし暴れます。
意識は飛ばず、何が起きているのかは自分でも分かっています。

しかし、自分で発作を止めたり、誰かに助けを求めるために話しかけたりすることは難しいです。

10~30秒ほど経つと、意識ははっきりとクリアになり普段の私でいることができます。
発作が連発すると、脳(意識)に雲がかった感じになり、ひどい頭痛もします。
ですが、これも1時間くらいすればすっきりともとに戻ります。

てんかんの自覚と経過

違和感と自覚

私が最初「なにかおかしい」と感じたのは、高校生の頃です。

友達と遊びに行った時、時々グッと意識が遠のくことがありました。
ですが、この症状は数カ月に1度程度で、私自身も気にしていませんでした。

変化があったのは高校卒業して大学に行く数日前のことで、いままでにない経験をしました。

それは就寝している間に起きていたようで、目が覚めると自分の舌を噛んでおり、激しい頭痛のような感じがしました。
「夢で怖いものでも見たのかな」と、その時も初めての経験だったこともあり、あまり気にしていませんでした。

そしていよいよ親元から離れて大学生活が始まりました。
当時、新聞配達をしながら学校に通っていたこともあり朝は3時頃に起きていましたが、配達中にグッと体に力が入り運転中こける事がありました。

高校生の時にたまに起きていたので、さほど気にしていませんでしたが、これを機に頻度がかなり増えてきていました。

そんなある日、新聞配達中にけいれんを起こしてバイクを倒してしまったのです。
怖くなって、私はすぐに専売所に向かいましたが、またけいれんが起きてしまい、頭をぶつけてしまったのです。
その後、発見してくれた配達仲間に勧められて病院に行くことになりました。

診断を受けて

最初にかかった病院での診断は『自律神経運動失調』というものでした。

しかし、健康には自信があったのでにわかには信じられず、セカンドオピニオンを進んで受けました。

すると、違う病院で『てんかん』と言われ、検査入院することになりました。
地元の病院で1~2週間ほど検査をした結果『てんかん』で間違いないと言われました。

病院で言われたことは、
●子どもが産めないこともあるということ
●運転が今の段階では難しいということ
●お酒は控えること
●規則正しく食事と睡眠をとること

などでした。

まさに人生これからだと感じていた私にはあまりにもショックでした。

そもそもてんかんという名前も初めてここで知る事になりました。

検査入院を終えた私は福岡に戻り、しばらく学校生活を送りました。
しかし、在籍中にドクターストップがかかり、先が見えないことなので一旦大学を退学することにしました。

実家に帰った後もショックの方が大きく、とても前向きに考える事が出来ませんでした。

しかし、1年が経ち私は後悔する道を歩みたくないと思い、親の反対を押し切り大学へ再入学することにしました。

当時の私は、どの医者も大嫌いで病院を転々としていました。
そんな状況ですから薬も飲んだり飲まなかったりを繰り返していました。

そうこうしているうちに、発作の回数は数カ月に1回だったものが、1か月に1度、数週間に1度と数が増えてきていました。

その頃の私は、すべて人のせいにしていました。

薬なんて意味がないし、規則正しい生活をするなんてつまらないと思っていました。
大学を出て社会人になった頃も、相変わらずてんかんと向き合う状況でありませんでした。

ある日、私は趣味を仕事にしたいと思い、転職を決めました。
そんな時、お付き合いしていた人から「自らその道を選ぶなら、後悔なく進んでほしい。てんかんなのに不規則な生活になるような仕事を選び、自分の身体に負担をかけることを理解した上でやるなら、しっかりやり死ぬ気で頑張れ」と言われました。

その言葉は私にとても響きました。

自分の後悔しない道なんて分からないけれど、死ぬ気で30歳まで好きなことをしようと決めました。

その後6年くらい、私はてんかんだということに目をつぶって仕事だけに生きました。
そして30歳になった時、最大限努力したと納得しました。

しかし、身体には大きな負担がかかっていて、この頃には発作は毎日出て、日中にも出ていました。

そして決意しました。

てんかんと前向きに向き合おうということを。

てんかんと前向きに向き合う生活

全てをリセットして1から始めようと考えた私は、移住もして暮らしを一転させて規則正しい生活を送るようにしました。

あらゆるも試しました。

年齢の事も考えると、結婚・出産も視野にいれていたので、薬の調整も最初は抵抗がありました。

今まで1種類だけ服用していましたが、試す途中では最大4種類まで増えてしまい、気持ち的にすごくストレスでした。

音に反応する私は、今まで以上に敏感になり、電話中やカラオケ、交差点などあらゆる音に反応しては発作がでていました。

こんな生活を送って2年くらい経ち、薬は新薬含み2種類に落ち着きました。
薬のバランスはとれていますが、体調次第では副作用が起きてしまいます。
二重にものが見えてしまい、バランスが崩れるからか気分が悪くなりふらつくこともあります。
ですが、そんなことも稀ですので、今は基本的には落ち着いています。

投薬治療のおかげか、今のところ発作は就寝時と起床時に起きる状態が続いていますが、この方法では今以上に良くなることはなさそうです。
つまり、これから一生をてんかんと向き合って過ごしていかなければならないということです。

新しい治療の選択

3年程前から、担当医に『VNS(迷走神経刺激療法)』というものを進められています。

これは、手術で脳波を安定させる装置を埋め込む治療法で、現在の投薬治療より良い結果が出るかもしれないとのことです。

成功すれば、今よりも少ない量の投薬治療を併用することで、てんかんの回数を減らすことが出来るそうです。

この治療を受けるかどうか、詳しく知るために検査入院をして医師の診断を受けることにしました。
すると、VNSは出来るけれど、手術をして完治というのは難しいという事が分かりました。

私は、現在結婚をしています。
子どもがいないので、可能ならこの先、子どものことも考えています。

だからこそ、VNSをするべきなのか、それともしない方がいいのか…とても難しい問題です。
だからこそ、焦らず慎重に考えていきたいと思います。

まとめ

19歳の時にてんかんと診断されて、16年経ちます。

最初の10年間はとにかくてんかんに対して下向きで、向き合う事もしませんでした。
周りをひがんでは、自分を悲劇のヒロインのように感じていました。

今も正直、ひがむことはありますし、悲劇だと感じる瞬間もあります。

ですが、私は自分で死ぬ気で仕事をしてみたいと考え、結果てんかんが悪化したのだとしても後悔はしたくないと思っています。

もしかしたら、忠告を無視し続けたせいで一生てんかんという病気と付き合っていかなければならなくなったのかもしれません。

ですが、今はトータルで考えると後悔はしていません。

好きな事をしてきた分、今は病気と向き合えています。

自分のペースで前向きにてんかんと向き合えていけたら良いなと今は思います。

同じ病気で悩まれている方へ

私は、てんかんと診断された時から、とにかく気持ちが荒れていました。

今は落ち着いていますが、それにはかなり時間がかかります。
正直なところ、「病気は神様が与えた試練だ」「ハンデがあっても私負けないわ」とは今でも思えません。

ですが、少しずつ病気と向き合っていけたらと考えています。

てんかんは、周りにはあまり理解されにくい病気のひとつだと思います。
だからこそ、自分の病気について学校や職場、両親に伝えた方が良いと思います。

てんかんと言っても様々な症状がありますので、自分に起こる症状について話すことで周囲に理解者が少しずつ現れてきます。

理解者が現れると、とても生きやすくもなります。
何といってもストレスが減って精神的に軽くなれます。

そういうことが大切なのだと私は思っています。

障がい者、健常者と分けるのではなく、誰もが会話をしないとお互いの事を理解できないということに気づくのが大切なのだと思います。

自分が閉ざせば相手も閉ざしますし、どう接して良いか分からないから困る事もあると思います。

運転免許を持っていない事で就職活動の幅が狭くなってストレスを感じている人も多いかと思います。
正直、私も今でも思います。
特に田舎になると、車は必須ですから、なおの事てんかんではなければ「車の免許が持てたのに」と悲しむ人もいるでしょう。

私は、今までの会社ではてんかんだということを隠していました。
しかし、障がい者であることをオープンにして就活をして今の会社に入社し、今までと違ってとても働きやすいです。

面接の際に、自分のてんかんについて話し、出来る事出来ない事を伝えてから入社したので周りの方々がとても理解してくれています。
本当は免許必須だったのですが、話しをきちんとした上で、私に出来ない事は周りの人たちでカバーできるところは進んでしていくと言ってくれてとても感謝しています。

ですので、もし求人を見た時に免許必須となっていた場合でも、積極的に話してみたら良いこともあるかもしれません。
もちろん、ダメな時もあると思いますが、ご縁がなかったと考え、次を探していけば良いのではないかと思います。

私も、てんかんが理由で内定取消にもなったことがあり、てんかんを恨んだりしましたが、結局恨んでもしょうがないし、変わることもないので、次に切り替えて進んでみました。

てんかんだから悪い事ばかりということはありません。
良い事も起こります。

ですので、自分のペースでよいので前向きに考えていけたら良いと思います。

下を向いたままだと良いことも悪くなることもあります。

私は、一度きりの人生だから、せっかくなら前向きに生きたいと思っています。

みなさんは、どんな風に生きたいですか?



カテゴリー:体験談

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