【最期の時間を作る】終末期ケアで変えるQOL【看護師監修】

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 現代社会の日本では高齢者の急増を迎え、さらに2025年には第一次ベビーブームの時に生まれた団塊世代が後期高齢者に達するとされています。
同時に後期高齢者人口が2200万人に膨らみ、国民の4人に1人が75歳以上になるとされています。

医療現場においても患者の半数以上が高齢者となり、積極的治療をせずに自然経過で看取るという事が増えてきています。
そのため、残された時間を家族や看護者がいかに『最高のケア』を行い、患者のQOLを向上させることが出来るかが大切になってきます。

ここでは看護者、家族が行うべき終末期ケアについて取り上げたいと思います。

もくじ

悲しい時間を最高の時間に

 医療従事者として多くの人の看取りの場面に家族と共に立ち会ってきました。
多くの家族は最後の場面に立ち会う事を拒否したり、立ち会ったとしても悲しみに暮れるという人が多い印象を受けます。
決して悲しみに暮れる事も、最後の場面に立ち会う事を拒否するのも間違いではありません。

ここで考えて欲しいのが、患者自身はどのような最期を望んでいるのかという事です。

ある患者の思いをここで紹介します。

それぞれの患者が望むかたちとは

 ある患者は悲しみに暮れている家族を見たときに
「私の最後は悲しいのはいや。天国へ行けなくなる。泣いてくれてもいいけど、笑顔で思い出話をしてほしい。苦しかった闘病生活から解放されたのだから、最高に笑って過ごしたい。」
と話していました。

日本人は歴史的に見ても人の死をタブー視し、どこか遠い記憶のように消し去ろうとする習慣があります。
そのため、看取りの場面やお葬式などは『喪に服す』というようなスタイルで、しんみりとした雰囲気を作り出します。

しかしその雰囲気や環境は、この患者にとっては決して望まれないものでした。
パーティーのように歌い踊り騒ぐようなことを望んでいるのではなく、泣いていてもいい、そのなかで患者が元気だったころの思い出話や面白いエピソードなどを話して最後を看取ること、それを患者は家族に求めていました。

では患者は医療者に何を求めるのでしょうか?

何かをできる自分を失いたくない

 終末期は一人一人の何かをすることの出来る自分を失う時間であるとされています。

例えば
●元気よく1人で歩けていた自分
●元気よく人と話をしていた自分
●元気よくおいしいものを食べれていた自分
●1人でトイレへ行けた自分

それらの一人一人を失っていく時間、それが終末期です。

医療者はいかにして失われていく一人一人の患者を守るかが重要となってきます。

例えば、排泄を1人で行うことの出来なくなった人を前にして、医療者としてどうしますか?
おむつの使用、もしくは留置カテーテルを使用するという選択をする人が多いと思います。

しかしこれでは失われた患者は戻ってきません。
それどころか、おむつや留置カテーテルを使用する事は『あなたは自分で排泄の管理が出来ない』患者を二重否定し、尊厳を傷つけることになります。

ここで医療従事者に求められるのは、どのようにすれば失われた一人を取り戻せるのかを考えケアする必要があります。

例えばですが、紙おむつを使用していたとしても一定時間で排泄誘導を行い、ポータブルトイレや尿器で排泄するなど自分で排泄をするという行動を支える必要があります。
介助を受けながらトイレへ行ければ、それだけでも失禁せずに自身で排泄できたという感覚を持つことができ、生きる自信に繋がり、尊厳は守られます。

これはあくまでも排泄行動を例にしたものですが、他の事でも同じです。
食事が出来ないからCVカテーテルやポートを増設、もしくは胃瘻や経管栄養を行う事は生命維持には必要なことですが、それが本当に患者本人が望んでいる事なのかが重要になります。

過剰な医療や延命処置は本人を苦しめQOLを低下させていきます。
終末期における医療従事者のケアは時として家族よりも大きな影響を与える事があることに留意しなくてはいけません。

意思決定を支える事

 みなさんは明日が来ることを当たり前のように考えていませんか?

おそらく私も、明日がまるで約束された時間のように考え「この仕事は明日やろう。」「明日の予定は○○だ。」と話をしています。
しかし明日は約束された物ではなく、迎えられること自体が奇跡なのです。

若い人の場合、高齢者に比べて急激な疾患を発症するというリスクが低いだけで、いつ病気になって寝たきりになってもおかしくはありません。
高齢者の中にも、今まで健康な生活を送っていたが急に心筋梗塞や脳梗塞になり寝たきりになってしまったという人も少なくはありません。

ここで考えて欲しいのは、急な病気で寝たきりになった時にあなたはどうしてほしいですか?という事です。

急な病気になった場合には、救急車で病院に運ばれ治療が開始されます。
若い人はほぼ積極的治療を行い、救命のためにあらゆる術を講じます。

しかし高齢者の場合にはどうでしょうか。
誤解しないでほしいのですが、命の選別や優先順位をつける事を意味してる物ではなく、本当にその医療をその人自身が望んでいるのかその医療を受ける事でQOLは回復するのかという事です。

病院の救命救急で勤務していた際にこのような場面に遭遇しました。
89歳の女性が多発性の脳梗塞を発症し、家族は積極的治療を希望しあらゆる薬剤を投与し最後は人工呼吸器を使用しました。
その後は栄養維持のために胃瘻形成手術を受けるなど多くの処置を行いました。

しかし本当に本人はその処置を希望していたのでしょうか。
残念ながら答えは本人にしかわかりません。

そこで大切なのが、事前の意思表示です。

もしも自分が病気となり意思表示が不能となった場合に、どのようにしてほしいかをどんな形でもいいので決めておく必要があると思います。
それが本人にとってより良い最期を作る一歩になり、また家族にとっても大きな意義を持ちます。

それは罪悪感が付きまとわないという事です。

本人の意思表示がない場合には、当然ですが家族が代理で意思決定を行います。
治療を選択しもしも救命できなかった場合や、先ほど例に挙げた患者のように長期間にわたり人工呼吸器をつける事や医療手術をするなどを経験すると、家族は罪悪感や後悔、自責の念を抱えるケースは少なくありません。
そして覚えておいて欲しい事として、人間は辛い記憶ほど早く消そうとします。
大切な家族の事で後悔罪悪感自責の念を抱えた場合に、その記憶を早く消去しようとするのが人間です。

しかしそれと同時に、終末期医療を受けている人間が一番つらい瞬間は人から忘れられた時、つまり存在消滅が起きた時とされています。
辛い記憶として残され、家族の記憶から消されることは非常につらい経験になります。
大切な家族を守るという意味でも、家族として高齢者の人がいる場合には事前意思を確認しておくことも今の時代は必要だと思います。

最後に

 終末期はいつ訪れるかわかりません。
特に高齢者の場合はそのリスクが高くなる傾向がありますが、若い人にも同じことが言えます。
現代では新型コロナウィルス感染症の出現で誰がいつ重症化してしまうかわからない時代となりました。
本当に自身が望む最後を迎えるためにも、事前に周囲の人へ意思を伝える事が必要です。

そして、それを受け取った家族や医療従事者はその思いが達成されるようにあらゆる視点からケアを行い、時には必要なサービスの使用などを検討していく事が求められます。
自己満足ではなく、本当に本人が望む最後を作ることは亡くなる人にとってQOLを向上させ「みんなありがとう。」と多くの感謝と共に最後の時間を過ごすことが出来ると思います。

最後の瞬間を最高の瞬間へ変え、大切な人の記憶をいつまでも持ち続けて欲しいと思います。

 

ライター名(クラウドワークス名):bebebe

<経 歴>

武蔵野大学卒業後に総合病院にて救急科、総合内科、感染、循環、呼吸器内科、オペ室など様々な分野を経験。



カテゴリー:その他・予防法, 看護師【家庭でできる看護学】

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