【ep 135】うつ病と複雑PTSD【虐待から発症】

この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。

◎この記事の中の人プロフィール◎
【年齢】26歳
【職業】フリーランスのwebライター
【喫煙】なし
【飲酒】なし
【疾患名】うつ病・複雑PTSD
【既往歴】目立っはありません
【服用薬】サインバルタ・レクサプロ・ラミクタール・サイレース

私の場合は、うつ状態の時は自殺願望が強くPTSDでは類似した環境で発作を起こしてパニックに陥ります。
うつ病はよく名前を聞く病気だったのでイメージ通りの症状でしたが、複雑PTSDはあまり聞きなれず、どのような病気なのかすら分かりませんでした。

この記事では、今も闘病中の私の体験談をお伝えしたいと思います。

もくじ

発症までの経過と治療の様子

幼少期に起因する精神疾患

疾病の起因は、幼少期から10年に渡る虐待でした。

我が家は父、母、兄と四人暮らしという環境でしたが、少し複雑な家庭でした。
というのも、父と母が不仲で、今思うと両親ともに、子供を正確に見れていませんでした。

その中で起こったことが、兄からの虐待でした。

初めは些細なことだったと思います。軽く頭を叩かれたり、執拗に命令されたり。
そんな日々がどんどんと加速した結果、兄のサンドバッグにされていました。
今思うと兄は狡猾でした。
5つ程しか年は離れていないので、私が小学1年生のころ、兄は6年生。
成人した今になってはただの子供ですが、3LDKの家で見事10年、両親にバレず私をいじめ抜きました。

殴られることは日常、奴隷のように使われ、自由な時間もまともにありませんでした。
お風呂の時間すら、まともに与えられない始末。

ストレスで嘔吐をしたあたりから、「これは異常だ」と気づきました。
けれどそれは薄々といった感覚です。
他の家庭の詳細など当時は知らないので、比較対象がなかったのです。

「みんなこれくらいの負荷を毎日受けているんだ」
「死ね」「殺す」といって首を絞められるのも、よくあることなんだ
と思っていたからです。

そうして小学4年生の頃に初めて母にお願いして精神科を受診しました。

その時にくだされた診断結果は、軽度うつです。
小学生がうつを患うなんて、今思うと異常でゾッとします。
しかし、当時は今ほど精神疾患に対する理解も薄かったためか、誰も何もしてくれませんでした。

処方された薬はもう何か覚えていませんが、「誰も助けてはくれないんだ」と分かった途端、全てに絶望して服薬すらやめてしまいました。

暴力は私が高校生になるまで続きました。
私が恐怖で泣いていても、親はただの兄弟喧嘩と思ったのでしょう。
解決策を練られることなどなく、ただ殴られたり都合よく使われ暴言を吐かれる日々を過ごしました。

高校当時から、自身の不安定さは把握していました。
けれどどうすることもできず、自傷行為など繰り返しながら、必死でただ、原因不明の苦しみと戦い続けました。

精神科での診断と処方

精神科に改めてかかったのは、大学生の頃でした。

「眠れない」と親に相談した時に睡眠薬を勧められ、そこで初めてサイレースを服用するようになりました。

同時に神経症だと言われ、デパスを処方されました。
しかし、その医者も私を助けてくれず、正しい疾患を見つけることもなく転院を決意します。

そして最終的に他院で下された診断が複雑PTSDでした。

というのも、ひどいフラッシュバックに連日悩まされていました。
男性も怖いし、殴られるような描写を見れば、発作が起こりました。

過去の話も含めて医者に伝えたところ、やっと見つかった診断でした。
小学生の頃から数えると、10年以上経ってやっと見つかった事実でした。

毎日が絶望でした。
その時の年齢は、同世代が社会人になったりと新生活を過ごしている時期でした。

私はただ何の目的もなく、死にたい気持ちに取り憑かれ、眠るだけの日々を過ごしていました。

まとめ

どんな病気も苦しいでしょう。

精神病は時に「甘えだ」なんて言われますが、「そんなことはない」と体験したからこそ断言できます。

あの地獄は一生私の胸に残り続け、蝕み続けるでしょう。

いまだに薬は無くなっていません。
変薬を繰り返し、2週間に一度のペースで通院をしています。

自身の不安定さから、1日を寝てやり過ごすこともあります。
周囲への妬みはなくとも羨望はありますし、ここまで追いやった兄への憎しみも消えません。

けれど、ピーク時よりどん底ではないと思います。

5つの医療機関を渡り歩き、今はやっと疾病に理解のある医者に出会い、確実に生きやすくなってきました。

同じ病気で苦しんでいる人へのメッセージ

この疾患を通して感じることは、
壊れる前に逃げること
医者は1人ではないこと
自分を許すこと

の重要性です。

元々鬱になる人は、自分に厳しいと言います。
自分の限界がわからないのです。
今だに私は認知の歪みがある為、己を責め、「もっと頑張らなくては」と強い焦燥感に苛まれています。

そうして走り続けた結果、壊れ、入院を経験しました。
そんな相談を医師にするたび、「許すこと」の重要性を説かれます。

今はまだ、自分を認められませんし、あきらかな被害者であることはわかっているのに、強い自責があります。
そういったことから解き放たれたら、もっと生きやすくなるのかなと、今までを振り返るたびに思います。

また、精神科は特に医者との相性が合いにくい、中には「ガチャ」と表現する人もいます。

私自身も5つの医院を転々としましたが、理解してくれた人は二人でした。
諦めて病院にかかるのを止めるのではなく、転院することは大事です。

本当にあなたを思ってくれる人に出会える可能性はゼロではありません。

皆様お身体は大事に。

いま闘病中の方は、どうか一人ではないということを忘れないでください。
今まさに頑張っている人に「一緒に頑張ろう」などとは言いません、自分のペースで歩いていきましょう。



カテゴリー:未分類, 体験談

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